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NHK 「日本のこれから 核」を見た [核と平和と田母神氏]

昨日放送の「日本のこれから 核」を録画で見た。

多くの論点で議論がなされているが、
まさしく8月9日の「たかじんのそこまで言って委員会」と同じ構造である。

一方は国際の力学すなわち現実
他方は被爆の恐怖すなわち感情
しかし、三宅・武内両司会者の交通整理もあってなかなか突っ込んだ論議ができた。
また、アメリカ・インド・パキスタン・中国など外国人の参加もあり、印パの核武装の効用など国際の現実に立脚した迫力ある意見だった。
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この中で特に目の止まったところを紹介する。
核廃絶の理想と、目の前にある現実の両方に対応しなければならない。

確かに何十年後の理想を描くのは大切だが、そののために、いま現実にある脅威に目をつぶる事は無責任なことだ。
そのための僕の立場は、米国の核の傘を引きつづき有効に保持することだと思う。
「ニュークリアシェアリング」という発言もあったがこれも含めてしっかり論議すべきだ。

冷戦期の反核運動はコミンテルン(スターリン)の指示によって始まった。
 
言われてみれば、確かにスターリン当時の東西の軍事バランスは、核戦力は西側優勢、通常戦力は東側優勢だった。
そういう中で世界が反核に動けばソビエトにとって有利となる構造だったわけだ。
原爆忌の広島で北朝鮮や中核派を擁護するデモ隊が行進するというのもこれを裏付けている。

三宅アナウンサーの締めは
街頭インタビューでも多くの人が核は難しいとかわからないと答えた
核のことをよく知って考えることが必要だ。

「核は恐い」は個人の感情だ。
しかし、責任ある政治はその恐怖と向き合い、現実の外交を戦っていかなければならない。
「戦争反対」の声に押されたチェンバレン英首相がヒトラーの台頭を抑えきれなかったことを想起しつつ、現在の日本は北朝鮮や中国との外交を真剣に考えていく必要があると感じた。

平成21年終戦の日をめぐる五紙の社説 [核と平和と田母神氏]

今年も8月15日がやってきた。
昨年も眺めた各紙の社説だが、今年はどうだろう…

読売は昨年から全くぶれていない。
終戦の日 追悼めぐる論議を深めよ(8月15日付・読売社説)
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20090814-OYT1T01063.htm
 「くにのためいのちささげし ひとびとの ことをおもへば むねせまりくる」
 東京・千代田区の千鳥ヶ淵戦没者墓苑の碑に刻まれた昭和天皇のお歌である。
 今年も「終戦の日」を迎えた。千鳥ヶ淵の墓苑にほど近い日本武道館では、政府主催の全国戦没者追悼式が行われる。
 天皇、皇后両陛下と共に、例年、三権の長である衆参両院議長、首相、最高裁長官が列席する。日本国として最も厳粛な儀式である。とは言え、今回は衆院が解散されているため衆院議長は不在だ。
(中略)
麻生首相は就任後初めて「終戦の日」を迎えるが、靖国神社には参拝しないという。「国家のために尊い命をささげた人たち」を政争の具などにするのは間違っていると、理由を語った。
 靖国神社には、東条元首相や松岡元外相ら、14人の「A級戦犯」が合祀(ごうし)されている。
 自民党内には、靖国神社に合祀された「A級戦犯」の分祀や国立追悼施設の建設の主張もあるが、党の方針は示されていない。
 民主党の鳩山代表は、仮に首相になっても参拝せず、閣僚にも自粛を求めるとともに、国立追悼施設の設置に向けて取り組みを進める方針を示している。
 岡田幹事長も、追悼施設について、千鳥ヶ淵戦没者墓苑を生かすことも含め有識者に議論してもらう考えを表明した。
 昭和天皇は、戦死者の魂を鎮めるという靖国神社の性格が「A級戦犯」の合祀で変わってしまうのではないかと懸念されていた。
 靖国神社は、いったん合祀した「A級戦犯」の分祀は、神道の教学上できないとしている。
 だが、神社側が分祀に応じない限り、選挙の結果がどうであれ、国立追悼施設建立に向けての議論は、勢いを増していくだろう。
 国のために尊い命を犠牲にした人々の追悼のあり方について、改めて国民的な議論を深め、結論を導き出す時期に来ているのではないだろうか。
(2009年8月15日01時23分 読売新聞)

今年も読売は国立追悼施設をテーマとしている。
対する僕の気持ちも変わらない。すなわち…お亡くなりになった方々の気持ちの多くは靖国にあったであろうことを重く見る。つまり追悼する側の気持ちよりも(8/15午後七時30分削除)される側の気持ち(故人の遺志)を重視すれば靖国をこれからも追悼の場とすべきであると思う。加えて、日本遺族会もそれを望んでいる。(8/15午後七時30分追加)
民主党も読売もA級戦犯が障害だと言う。
A級戦犯云々は、そもそもの原点に立ち返ればよいのだ。
政府の立場は平成17年の答弁でも再確認されている。
野田氏の質問に対し小泉総理が答弁している。
お尋ねの「名誉」及び「回復」の内容が必ずしも明らかではなく、一概にお答えすることは困難である。  お尋ねの重光葵氏は、平和条約発効以前である昭和二十五年三月七日、連合国最高司令官総司令部によって恩典として設けられた仮出所制度により、同年十一月二十一日に仮出所した。この仮出所制度については、日本において服役するすべての戦争犯罪人を対象として、拘置所におけるすべての規則を忠実に遵守しつつ一定の期間以上服役した戦争犯罪人に付与されていたものである。  また、お尋ねの賀屋興宜氏は、平和条約第十一条による刑の執行及び赦免等に関する法律により、昭和三十年九月十七日、仮出所し、昭和三十三年四月七日、刑の軽減の処分を受けた。この法律に基づく仮出所制度については、平和条約第十一条による極東国際軍事裁判所及びその他の連合国戦争犯罪法廷が科した刑の執行を受けている者を対象として、刑務所の規則を遵守しつつ一定の期間以上服役した者に実施していたものであり、また、この法律に基づく刑の軽減については、刑の執行からの解放を意味するものである。  お尋ねの死刑判決を受け絞首刑となった七名、終身禁錮刑及び有期禁錮刑とされ服役中に死亡した五名並びに判決前に病没した二名については、右のいずれの制度の手続もとられていない。  そして、重光葵氏及び賀屋興宣氏については、昭和二十七年四月二十八日、平和条約の発効及び公職に関する就職禁止、退職等に関する勅令等の廃止に関する法律(昭和二十七年法律第九十四号)の施行により、選挙権、被選挙権などの公民権が回復され、その後、衆議院議員に当選し、国務大臣に任命されたものである。また、重光葵氏については、昭和三十二年一月二十六日の死去に際し、外交の重要問題の解決に当たった等の功績に対して、勲一等旭日桐花大綬章が死亡叙勲として授与されたものである。

A級戦犯でも平和条約発効時に存命で刑期が満了していない者が復権して大臣にまで就任して、一人は外務大臣として国連加盟の立役者となっているいるにもかかわらず、刑の執行が終了(刑死)している者が復権しないという理屈がなりたつだろうか?
以上の理由で靖国問題は実に滑稽だ。
田母神氏が指摘するように中曽根総理以来の政府が「事なかれ」で対応してきたつけだ。

日経も昨年同様の論調だ。
社説1 悲劇を繰り返さぬ決意を新たにしよう(8/15)
http://www.nikkei.co.jp/news/shasetsu/index20090814AS1K1100113082009.html
 64年目の「終戦の日」を迎えた。勝算がないまま戦線を拡大し、国土が灰じんに帰すまで戦争をやめることができなかった。悲惨な経験を忘れず、平和への誓いを将来につなげていく日である。
 先の大戦では日本人だけでも軍人・軍属、民間人を合わせて310万人が犠牲となった。すでに国民の4人に3人は戦後生まれになり、戦争を体験した世代は年を追うごとに減っている。痛恨の歴史を語り継ぐ努力を続けなければ、戦争の記憶は確実に風化していく。
(中略)
 無謀な戦争で国中が焼け野が原になった。だが、そこから不屈の精神で経済復興を成し遂げた日本だからこそ、国際社会で果たすことができる役割があるはずだ。世界的な軍縮や地域紛争の抑止といった平和構築のための活動への取り組みはまだまだ不十分である。
 戦後の政治体制の転換点になりうる衆院選が事実上始まっている。日本を取り巻く国内外の情勢は変化し、外交や安全保障の戦略を根本から議論すべき時期に来ている。
 過去の失敗を直視し、悲劇を繰り返さないための教訓を国のかじ取りに生かしていく。多くの戦没者の霊に報いる道はこれしかない。

これに対しては僕も昨年と同じコメントを付さなければならない。
戦争から生じる悲惨な現象をいくら強調しても、先の大戦から六十有余年を経てこの世から戦火が絶えない理由が説明できない。 つまり、人には「どんなに悲惨な現象を被っても、それでも戦って守るべき価値がある」ということなのだろう。 その「価値」と「平和の尊さ」とは次元が異なるのだと思う。 もしも「平和」=「どんなに悲惨な現象を被っても守るべき価値」だとしたら… 侵略を受けたら…侵略者の奴隷になっても平和でいたいという結論になる。

昨年は日中関係に特化した朝日は今度はフィリピンに着目して戦争の記憶について語っている。
あの戦争の記憶―世代を超え、橋を架ける
http://www.asahi.com/paper/editorial20090815.html
 64回目の終戦記念日を迎えた。
 驚かされる数字がある。被爆地にある長崎総合科学大学の平和文化研究所が、同大の学生を対象に行った昨年の調査で、「終戦の日」がいつかを正しく答えられたのは33.2%。15年ほど前は5~6割台だった。
 戦後生まれは人口の4分の3を超えた。太平洋戦争の戦場から帰還し、健在な人は推計で40万人前後。最後となった1945年の徴兵検査を19歳で受けた人が、もう83歳だ。
 あの戦争の記憶をどう受け継いでゆくか。年々難しくなる課題に私たちは直面している。

 ■当事者に向き合う

 さいたま市の英会話学校で働く神(じん)直子さん(31)は、学生時代にスタディーツアーでフィリピンを訪ねた。現地の集会で、一人のおばあさんに「日本人なんか見たくない」と言われたことが胸に突き刺さった。日本兵に夫を殺されたという。

 その3年後に知人から偶然、戦地での行いを悔いながら亡くなった元日本兵がいる、と聞かされた。フィリピンで従軍した人の今の思いをビデオメッセージにして、現地の人に届けてはどうか。そう思いついた。
 旧日本軍の部隊名簿などを手がかりに数百通の手紙を出してみた。ぽつりぽつりと返事が来た。神さんはカメラを手に、全国を訪ね始める。
 「お国のために何でもやる。そんな教育に従って生きてしまった気がする」と、振り返った元兵長がいた。
 「強盗、強姦(ごうかん)、殺人、放火……。軍命とはいえ、罪の気持ちはある。でも謝るすべを知りません」。工兵隊にいた人は声を絞りだした。
 話の最後に「無我夢中でゲリラを突き刺した」と、打ち明けた人もいた。
 フィリピンは太平洋戦争の激戦地だ。日米両軍の死闘のなかで、日本の軍人・軍属60万人中50万人が死亡した。フィリピン人も100万人以上が犠牲となった。
 証言の映像を持参したフィリピンでは、元兵士が葛藤(かっとう)を持ち続けていることに驚いた人が多かった。みなではないけれど、許すと言う人もいた。
(中略)
 ■体験者なき戦後へ
 NHKが進めるプロジェクト「戦争証言アーカイブス」では、従軍経験を語る映像がウェブ上で閲覧できる。10月までの試行で約100人分。銃後の経験を含めた証言をもっと増やし、11年には本格サイトを完成させる。
 番組制作で集めたインタビューを未放送分も含めて収録し、戦場名や年表からの検索も可能にした。日本人の戦争体験全体を、体系的・総合的に整理するねらいだという。
 社会の中で薄れてゆく記憶を、つくりなおす。世代を超えて橋を架ける作業がいくつも進められている。
 ごく普通の人が、国の誤った道に巻き込まれ、極限の状況下で、加害者にも被害者にもなる。無名の元兵士たちが若者に語り残すのは、そうした戦争のリアリティーだ。その集積を、日本が二度と過ちを繰り返さないための共有財産にしてゆこう。
 戦場の現実を踏まえない議論を、政治の場で横行させてはならない。
 遠くない将来、あの戦争の体験者はいなくなる。それからも、私たちは「戦後」の時間を刻み続けていく。

戦争証言もおそらく玉石混淆となることだろう。
・強盗、強姦(ごうかん)、殺人、放火を軍命された→軍命ってなんだ?部隊長から正式に命ぜられたのか?それとも隣にいる「上官」がトチ狂って叫んだものか?検証もしないで垂れ流すのは害悪以外の何者でもあるまい。
・無我夢中でゲリラを突き刺した→ゲリラと判る相手と交戦することは法的には何ら問題ない。道徳的な問題は別として。
何でもかんでも日本を悪者にして罪悪感だけを増幅させておけば平和になるという考え方には全く賛同出来ない。

産経は昨年の「日米関係」から打って変わって「日本国内の政争」に目を向けた。
【主張】終戦記念日 国家の心棒、立て直す時 鎮魂の日に思う難局の打開2009.8.15 02:51
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/090815/acd0908150252001-n1.htm
 64回目の終戦の日を迎えた。物心がついた、当時10歳前後の少年少女は今や、70代半ばにさしかかっている。あの戦争を知る人の多くは鬼籍に入った。いや応なく忘却が進む。だが、総力戦に敗れ、国の行く末を国民が深く憂え、同時に日本再建へ心を一つに立ち向かったことに思いを馳(は)せたい。
 日本はいま、多くの難題を抱えている。少子高齢化の進行、不況下での負担と給付、北朝鮮の核や中国の台頭…。これらの問題に正面からどの程度、立ち向かってきただろう。複雑化し、解を見いだすのは容易でないがゆえに放置されてきた。その拱手(きょうしゅ)傍観が危機をさらに深めてはいないか。
 ≪同じ「日本丸」にいる≫
 しかも問題の根本解決には党派を超えた枠組み作りが不可欠なのに、目前の利害と対決感情に身を置いてしまう。混乱と混迷からなかなか抜け出せない。激論、競争は民主主義を活性化させるが、行き過ぎては国益を損ねる。
 気付くべきは、同じ日本丸に乗り、運命を共にしているということだ。国家と国民の一体感を取り戻すことが、この国を救う。
(中略)
 総選挙の公示は18日だ。政権交代が声高に叫ばれている。自民党をこらしめるため、一度民主党に政権を任せようといった鬱憤(うっぷん)晴らしでは問題は片付かない。
 21世紀を生き抜いていける国家像、いわば戦後体制をどうするかを自民、民主両党は政権の選択肢として提示しなくてはなるまい。変えるものと変えるべきでないものを整理して示す必要がある。
 戦禍の廃虚から立ち上がった先人たちは豊かな国を見事に築き上げた。だが、肝心の国のかたちは抜け落ちてしまった。
 心を一つに力を合わせ国家の心棒を立て直すことが現在と将来の危機を乗り切る原動力となる。
 日本をよりよい国にすることが、あの空襲で犠牲になった多くの国民、戦陣に斃(たお)れた幾多の英霊への鎮魂につながっていく。300万を超える戦没者を深く追悼し、死者の思いを考える8月15日でありたい。

確かにこのようなときこそ、国の行く先をしっかり見据えていく必要がある。
自民と民主のマニュフェストを見ても、どちらも「21世紀を生き抜いていける国家像」はくっきりとは見えてこない。 描きにくい情勢であることも間違いない。しかし、この激動する世界環境に適合していくのみならず、自ら望ましい世界環境を作り上げていく気概を持って欲しいものだ。

毎日は発想を大きく転換してきた。
社説:「打たれ強い日本」に 低エネルギー化急げ
http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20090815k0000m070114000c.html
 終戦記念日の主張として、日本を低エネルギー消費の国にしようというのは、やや奇異に映るかもしれない。しかし、日本の平和と安全にとってぜひ必要なことだ。
 気候変動の脅威とエネルギー需給の不確実性、さらには食料問題。こうしたグローバルな脅威を完全に遮断することはできないが、少なくとも低エネルギー社会化で「打たれ強い国」にすることはできる。それはまた、グローバルな危機に脅かされている途上国に対する、何よりの支援ともなるだろう。
 ◇グリーン化進む英軍
 実のところ、エネルギー消費が効率的で少ない「グリーンな軍隊」ほど「強い」のだ。英国防省が昨年12月公表した「気候変動戦略」は、その思想を強く打ち出している。気候変動の脅威に即応するには兵器の省エネが不可欠という主張だ。石油がぶ飲みの軍隊は継戦能力に欠ける。米軍は「ハイブリッド戦車」さえ研究している。
 先の大戦で日本軍は終始、資源・エネルギー不足に苦しんだ。苦肉の策として「人造石油」と「松根油」の製造に取り組んだが失敗した。満州(中国東北部)の撫順炭鉱の油頁(ゆけつ)岩(オイルシェール)から石油を抽出しようとしたり、日本中の松の根を掘り返し航空機用燃料を取り出そうと試みたのである。
(中略)
 早晩、私たちは環境と資源の制約によって、暮らし方を大きく変えねばならなくなる。それが何年後かは議論が分かれるが、英国防省が示唆するように、エネルギーの使用量が少なければ少ないほど、危機への抵抗力は強まる。
 東京財団が「化石燃料を使わない社会」をシミュレーションした。原子力、水力などは現状維持で、自然エネルギーを最大限利用したとして、1960年代の1次エネルギーの消費量になるという。ひどく貧しい時代だった気がする一方で、いま失われたある種の豊かさがあったような気もする。
 実のところ、世界のモデルになるような「豊かな低エネルギー社会」をどうすれば実現できるか、道筋は見えていない。低エネルギー化は常識では貧しい暮らしを意味する。それではだれも賛成しないだろう。エネルギー消費が少なくても、そこに何らかの豊かさが生まれていなければ意味がない。
 ひとつはっきりしているのは、これが「地方の自立」に深くかかわる問題だということだ。なぜなら、低エネルギー社会は食料のみならずエネルギーも地産地消でなければ成立しないからだ。地方が「浪費と無縁の豊かさ」を競い合う分散型社会に日本は変わっていくだろう。
 あと半月で衆院選の投票日だ。鎮魂の月、8月の衆院選は初めてである。すでに事実上の選挙戦が始まっており、各党が政策論争を戦わせている。間遠に思えるかもしれないが、日本の安全保障の基礎を準備する問題として、低エネルギー社会をめざす是非や方策を論じてほしい。

省エネルギーがオールマイティの解決策とは思わないが、実に重要な分野だと思う。 そもそも先の大戦では日本が列国により資源の禁輸を受けて無謀な戦争に駆り立てられた事実を書かないのは毎日の特性だとしても、日本が資源に乏しいことは厳然たる事実だ。 同じように僕は、次の世界大戦があるとしたら資源争奪戦から始まると思っている。 だから、省エネルギーはそれを未然に回避するための重要な施策だと思う。
実によい着眼だと思う。

【台風に地震】行政・公共サービスの意義3【小括】 [核と平和と田母神氏]

災害を題材にしてちょっと考えてみた。

災害発生時に起きる様々な被害や障害に行政が適切に対応して人命救助・救援物資の提供・避難所の運営・仮設住宅の提供・防疫・復旧などをしなければその被害は更に拡大するであろう事は小学生にだって分かることだ。

rescue.JPG

それだけでない。

その被害を未然に防ぐためのサービスはどうだろう?

たとえば気象サービス。

自前で静止気象衛星を打ち上げて運用し、国土の隅々までアメダス・気象レーダ・地震計が配置され統計情報や予報解析の情報が常に配信されて風水害・地震・火山・さらには低温・渇水にわたるまで警戒情報が提供される。

 気象観測に関わる草創期のご労苦は、新田次郎の小説「芙蓉の人」などに詳しい。この話は僕が小学生の時、何かの雑誌に劇画で載っていた。

その他にも、これらの情報を素早く提供するための公衆通信網、これを用いた安否情報を提供するサービス、避難や救援のための道路交通網などありとあらゆるサービスが我々の生活の安全を支えていることが、ちょっと考えれば解る。

それでも?

「命をかけるほどの国じゃない」とか「滅んじゃえばいい」とか言えるの?

というところで災害を題材とした考察を終わり、次は戦争について考えてみる。


【8.6田母神講演会】@日本文化チャンネル桜 [核と平和と田母神氏]

僕が見てきた【8.6田母神講演会】を日本文化チャンネル桜が全面的にアップしてくれている。
3分割されている。

冒頭には、僕がプロローグで紹介した慰霊碑や「デモ隊」などの様子も伝えている。
講演会場の前ではウイグルでの中国による核実験被害者救済を求める団体があった。
彼らはデモ隊が田母神講演会に反対するシュプレヒコールをすると、「言論弾圧反対」と叫んでいた。
デモ隊は原爆ドーム前に移り田母神氏のことを「ナチズム」とか「ファシスト」と呼んで喚いていた。

そして、一般のマスコミは自分たちに都合の悪いことは伝えなかった。
ご用とお急ぎのない方は、ご自身の目で【8.6田母神講演会】をぜひご覧になっていただきたい。
本当に田母神氏はファシストだろうか?






戦争とは?国家とは? NHKは何を描く? [核と平和と田母神氏]

最近NHKが広告をしている。
戦争証言プロジェクト
リンク先の動画でも見れるけれど子供達に質問をする。
Q:戦争の色は?匂いは?味は?

などと子供達の答えを映す。
実にあどけない答えだ。
そのうち大人も混じってくる。
Q:空襲の時何をもって逃げますか?
 A1:財布とか
 A2:ケータイ
 A3:聖書
Q:あなたは"お国"のために死ねますか?
 A1:死ねない(笑い)
 A2:微妙だね…どうしても家族を守るなら…
 A3:愛国者なら国のために当然のことでしょ
   ※この答えにはわざわざ戦時の画像を重ねる。 aikoku1.jpg
 A4:命をかけるほどの国じゃないと思う
 A5:"国のために死ね"っていうなら滅んじゃえばいい。 horonbu.jpg

これを見て僕は感じることが2点ある。
1 個々人の体験の集積で戦争を語れるか?
2 「国家とはなにか」を考えているか?


1 個々の体験とは?
日本人にとって戦争体験は…多くの場合…壮絶な努力の連続である。
何故ならば日本には天然資源がほとんどない。
鉄もなければ石油もない。
それを世界市場から閉め出されて生存自活の道を戦に求めるなら…
日本にとっての唯一の資源は「人」だ。
だから精神論や肉弾突撃戦術にもにもなれば特攻という発想も生じる。
これは指導者の愚というよりも…
そもそも我が国がその成り立ち上もっている宿命というしかない。

それは平和なときでも同じだ。
人々の勤勉さと誠実さが日本の資源だ。
そのためにエコノミックアニマルといわれたりワーカホリックといわれたりもした。

そのような文脈で戦争体験を人に聞いても…「辛い」に決まっている。
ただし…平和な時だって程度の差はあれ…「辛い」…となる。
つまり…戦時も平時も「資源のない国は辛い」が僕の結論だ。

2 「国家とは何か」
「命をかけるほどの国じゃない」とか「滅んじゃえばいい」という答え。
その背後に「国家」に関するどれほどの思考があるだろう?
「皆無」だと思う。
耳かきの先ほどの思考があればそのような答えが出ようはずがない。
日本がなくなったらどうなる?

という問いを発してみたらいい。

具体的なイメージを描くためにちょっとしたフィクションを設定しよう。
敵とか戦闘は捨象して…とにかく政府の機能が停止した事態を想定する。
日本の立法・司法・行政(国と地方を含む)の全ての機能が停止したらなにが起きるだろう?

その原因は戦争・テロ・災害を問わない。
政府の機能が全て停止する状態だ。

財布やケータイをもって逃げた人は何を経験するだろう?


たかじんのそこまで言って委員会 [核と平和と田母神氏]

関西に住んでなにが楽しみかっていうと…よみうりテレビ「たかじんのそこまで言って委員会」が見れることだ。
今日は以下のような布陣だ。
パネラー 三宅久之、田嶋陽子、鈴木邦男、田母神俊雄、桂 ざこば、勝谷誠彦、宮崎哲弥、山口もえ
ゲスト 池田眞規(日本反核法律家協会会長)
そしてテーマは、右翼と核廃絶だった。

「核廃絶は可能か?」の問いに対して意見はまっぷたつ。
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論議も始めのうちは「可能派」が劣勢かと見えたが、ゲストの池田眞規が登場。
僕は知らなかったけれど、全国原爆症弁護団団長、日本反核法律家協会会長、百里基地違憲訴訟事務局長などを歴任しているそうだ。
彼は登場するなりパネラーを称して「愚者の楽園」と宣う。
ただ、論議にはいると核廃絶は可能と言うもその根拠については空論しか出てこない。
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池田氏は田母神氏に対し、源田実(大昔の空幕長で百里基地違憲訴訟においては池田氏が証人尋問した)まで引き合いに出して批判するが支離滅裂。
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弁護士とはもっと論理的な人達かと思っていたが…あれでは百里基地違憲訴訟も負けるわけだ…

一方は国際の力学に依拠して話す。
他方はそれを無視して空想で話す。
これでは話がかみ合うわけがない。


いずれにしても、「識者」であってもなかなか現実的・論理的な思考のできないのが核問題だ。
その他にも、皇室・男女共同参画・少子化問題などはなかなか冷静な論議のできないテーマだ。
我々市井のブロガー同士が罵倒し合うような愚は避けたい。

その上で一応僕の立場を述べておくと
・核兵器は一旦使われれば人類にとって耐え難い悲劇をもたらす。
・その威力に対する恐怖が平和(戦争のない状態)を維持する。
・我が国は、米国の核の傘が守っている。それがある限り我が国が核武装する必要はない。

そして、核廃絶に関して僕なりに問題提起するとこうなる。
●第二次世界大戦末期は日本だけが世界の殆どを相手にして戦っていた。
 つまり、日本が降伏すれば戦争が終わり、これからは日本さえ弱体化すれば世界が平和になると考えられていた。
 ところが…朝鮮戦争を象徴とする東西冷戦が始まる。
 各地で米ソを代理するような紛争が多発した。

●冷戦が終結するなど夢にも思われなかったところ、SDIという夢のような構想を契機として冷戦が終結した。
 冷戦が終結すれば世界は平和になると思われた。
 ところが…各地で民族紛争が勃発…特に旧ユーゴスラビアがあのような事になろうとは誰が想像できただろう。更にテロが頻発

●核廃絶は夢のような話である。仮にそれがまた夢のような新機軸から実現したとしたら?
 次に何が起こるだろう?
 そこまで見すえて行かなければならないと思う。

おまけ
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【8.6田母神講演会】講演の概要とマスコミ報道 [核と平和と田母神氏]

実際の講演の概要は、寮管理人の呟きブログでも要約してくれている。
また、日本会議広島では、今回の講演を二枚組CDとして販売するらしいので、詳細はそちらでお聞きいただきたい。

まず、日本会議広島から講演会の趣旨についての説明に続き一同起立して国歌を斉唱し、原爆死没者・戦没者に対する黙祷を捧げ、清澄な気持ちで、機知に富んだ講演を聴くことができた。

田母神氏の講演は大きく以下の4つのポイントからなっていた。
1. 核武装論議の是非
  核兵器保有の論議すら許されないのは異常。
  核兵器は先制には向かないが、抑止効果がある。
  核保有国同士は大きな戦争をしない。印パの例が顕著
2. 歴史認識
  忠臣蔵も討ち入りだけ見たら単なる殺人集団→太平洋戦争も真珠湾以降だけを見ていたら本質を見失う。
  日本軍が中国に駐留したのは義和団の乱に遡る。そこから真珠湾までの流れを見ると、日本はソ連・米国・中共・蒋らの思惑に翻弄され、やむなく戦争への道を歩んだ。
  日本は欧米のような植民地支配はしていない。朝鮮も台湾も内地と同じように扱った。東南アジア諸国も日本に触発されて独立の志を打ち立てて実現した。
3. 戦後の歴史教育
  占領軍が行った検閲・焚書・公職追放が連合国側の歴史観を定着させた。
  その結果左翼思想をもった大学総長・教授が各大学で左翼思想を教え、現在マスコミの中枢を占めている。
4. 日本の歴史を取り戻す必要性
  事なかれ主義のため、教科書・慰安婦・靖国・遺棄化学兵器など、政府が毅然とした対応をしなかったために国益を損ねてきた。
  英霊のおかげで現在の豊かな暮らしがある。
  歴史を捏造する必要はない。真実を教えればいい。

マスコミについては、下に引用しているが、1項目の「核武装論議の是非」しか取り上げていない。
マスコミが取り上げたのは、僕が取ったノート13ページのうち、わずか2ページに相当する部分に過ぎない。
毎日あたりは、それを更に端折って【田母神氏は「日本は核武装すべきだ」といった持論を展開した。】と伝える。

それ以降の各ポイントは、各マスコミにとってニュース性に乏しいばかりか、マスコミにとって後ろ暗い部分だ。
マスコミも商売でやっているのだからそれを取り上げたくないのは仕方がないが、田母神氏が本当に伝えたかった部分のはずだ。
しかし、昨年の田母神論文騒動の時もそうだが、マスコミは真実を過不足なく伝えるということをしてくれないものだ。
そうして真実は伝わらない。


共同通信(47NEWS)田母神氏が広島で講演 「被爆国として核武装すべき」
 原爆の日の6日、政府見解の歴史認識を否定する論文を公表して更迭された田母神俊雄前航空幕僚長が広島市で講演し、「唯一の被爆国として、3度目の核攻撃を受けないために核武装すべきだ」と主張した。
 日本会議広島が主催し、演題は「ヒロシマの平和を疑う」。参加者は講演に先立ち君が代を斉唱し、黙とうした。

 田母神氏は「2020年までの核兵器廃絶は夢物語」と、秋葉忠利広島市長の平和宣言を批判。「核保有国同士は相手からの報復を恐れるため、先制攻撃は絶対にしない。国を守るため、日本も核兵器を持つべきだ」と持論を展開した。

 秋葉市長は6月に「被爆者や遺族の悲しみを増す結果になりかねない」として、日程の変更を要請。県内の被爆者7団体も7月、連名で抗議文を送ったが、田母神氏や主催者は「表現の自由だ」などと応じなかった。
 会場周辺では、田母神氏の主張に反対する横断幕を掲げ、シュプレヒコールを上げる団体と、右翼の街宣車が言い争う一幕もあった。
2009/08/06 19:58 【共同通信】

スポーツ報知も同記事
時事通信田母神氏が「核武装」主張=原爆の日、ドーム近くで-広島
 「原爆の日」の6日夜、政府見解と異なる歴史認識を示して更迭された田母神俊雄前航空幕僚長による「『ヒロシマの平和』を疑う」と題した講演会が広島市で開催された。主催者の日本会議広島によると、約1300人の聴衆が集まり、田母神氏は「(広島、長崎に次ぐ)3度目の核攻撃を受けないためには核武装するのが普通の考え方」などと約2時間にわたって持論を展開した。
 会場のホテルから200メートルほどの原爆ドーム前では、約300人が集まり、シュプレヒコールを上げるなどの抗議活動を展開。ホテル周辺には数十人の警察官が配備されるなど、ものものしい雰囲気もあったが、特にトラブルはなかった。
 この講演には、広島市の秋葉忠利市長が「心静かに慰霊を行う遺族などの悲しみを増加させる」として日程変更を求めたが、講演後に記者会見した日本会議広島の中尾建三理事長は、「わたし自身も被爆者。祈りの日であることは違いないが、この日に(講演会を)やることに意義はあるのではないかと考える」と述べた。(2009/08/06-21:46)

産経田母神氏、広島で講演「核廃絶が即、平和につながるわけではない」 2009.8.6 22:10
 原爆の日の6日、広島市内で元航空幕僚長の田母神俊雄氏を招いた講演会「ヒロシマの平和を疑う!」が行われた。
 講演をめぐっては、秋葉忠利市長や被爆者団体が「被爆者や遺族の心情を逆なでする」などとして日程変更を要請。主催者側は地元紙に意見広告を出し、注目を集めていた。
 約千人を前に、田母神氏は、秋葉市長の平和宣言にふれながら、「核廃絶が即、平和につながるわけではない」と主張。「唯一の被爆国だからこそ、3度目の核攻撃を受けないために核武装するべきではないか」と呼びかけた。

毎日田母神俊雄氏:講演で、開演前もみ合い--広島
 広島市中区の原爆ドーム前のホールで6日午後6時から、前航空幕僚長、田母神俊雄氏の講演会「ヒロシマの平和を疑う」があった。会場は約1300人の聴衆で満員(主催者発表)。田母神氏は「日本は核武装すべきだ」といった持論を展開した。
 開演前には会場周辺で反戦団体や労組などの約200人が抗議行動。右翼団体の街宣車1台が現れて、同団体のメンバーらしい男性1人と市民団体メンバーがもみ合いになった。警察官約10人が間に入って騒ぎを止め、けが人や逮捕者はなかった。【椋田佳代、星大樹】

【8.6田母神講演会】プロローグ「ヒロシマの平和」とは? [核と平和と田母神氏]

8月6日正午過ぎに僕は広島に降り立った。
既に広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式は終わっており、通常の街と変わりがない印象だった。
県庁の横を通ると、県庁も合同庁舎も一様に半旗を掲揚して慰霊を示している。

そして、広島在住の同僚と業務上の打ち合わせをする。
業務が終わり雑談となると、彼は出勤前に件の慰霊式を見てきたというのである。
慰霊式は朝早いからちょうど出勤途上に見れるわけだ。
そこで彼曰く
慰霊式会場で黙祷を捧げている間も、デモ隊は場外で叫び続けていた。」
そこで大いに疑念が湧く。
一体デモ隊に参加する人々は、何のために来ているのだろう?

夕方に同僚の職場を離れて平和記念公園に寄る。
原爆死没者慰霊碑には多くの献花が供えられ、傍らには一団のご老人が尺八で穏やかで愁いを帯びた調べを休むことなく奏でている。
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人々は列を作り静かに祈りを捧げている。
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公園を離れると大通りの彼方から拡声器の声が聞こえてくる。
デモ隊だ。
先導の警察車両から、警察官が一般の歩行者や運転者に注意を促している。
その後方からいくつもの集団に区画されたデモ隊がやってくる。
どうもたくさんの集団があるらしい。いくつあるのか判らない。
彼らの旗幟をいくつかピックアップしてみる。
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【核武装叫ぶ田母神は来るな】
これはまあ予期の範疇だ。一応反核の主張との一貫性はある。

ところが…よくよく眺めていると…
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【オバマ賛美ぶっ飛ばせ 北朝鮮への侵略戦争阻止】
多くの被爆者はオバマ大統領のプラハ演説を支持しているんじゃない?
逆に?我が国上空にミサイルを撃ったり核実験する国を擁護する団体?
被爆された方は本当にそれを望むのか?
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【国鉄1047名解雇撤回 労働者派遣法撤廃!改憲阻止! 法大学生弾圧粉砕!麻生政権打倒!】
国鉄1047名解雇撤回って、国鉄闘争と広島原爆忌と関係ある?
法大学生弾圧っていつの話だ?
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【「日の丸・君が代」強制反対】
日の丸・君が代の所為で原爆が落ちたのか?
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【「現代の赤紙(徴兵制)」=裁判員制度をつぶせ!】
これはこじつけ以外の何ものでもないよな。
で?極めつけはこれだ!
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【無実の星野文昭さん】
星野文昭って誰?
ググってみると?中核派の人だってさ…
星野同志は70年安保・沖縄決戦における機動隊せん滅を含む蜂起戦的な大衆的武装闘争の最先頭で闘った。

なんだこりゃ?
結局、このデモ行進の連中は、8月6日にかこつけて広島にやって来て、被爆者の心情などお構いなしに自分たちの主張を垂れ流す連中じゃあないの?
広島市長は日程変更要請の中で言う。
御承知のとおり、8月6日は、人類史上最初の原子爆弾が広島に投下された日であり、被爆者や原爆死没者の遺族をはじめ世界中の人々にとって、原爆死没者の霊を慰め世界の恒久平和を祈念する掛け替えのない日です。
広島市では、8月6日を条例により「平和記念日」と定めており、「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式(平和記念式典)」を開催するとともに、市内各地でも慰霊祭や平和の記念行事が行われるなど、一日中、原爆死没者の慰霊と世界恒久平和への祈りで包まれます。
そうした日に、広島の地において、マスコミに注目され市民への影響も大きい田母神氏が、「ヒロシマの平和を疑う」という演題で講演されることは、夜明け前から心静かに原爆死没者の慰霊を行う被爆者や肉親を失った遺族の悲しみを、いやが上にも増す結果となりかねません。広島における8月6日の意味は表現の自由と同様に重要なものと考えています。

北朝鮮を擁護したり、国鉄闘争や中核派を擁護するデモが【原爆死没者の慰霊と世界恒久平和への祈り】なのか?
【心静かに原爆死没者の慰霊を行う被爆者や肉親を失った遺族の悲しみ】を踏みにじっているのは誰だ?

そこで僕の頭に去来するのは、日本会議広島に寄せられた被爆者・ご遺族の方からのお手紙である。
私の家族は被爆者 および 2世です。
主人の両親 兄は 被爆後 原爆症と認定され、いずれも癌でなくなりました。
主人は2世として、昭和23年4月8日 原爆の被害がまだ色濃く残る広島市内、広島駅の近隣で出生しています。
主人を含めて、被爆遺族の誰と誰に 秋葉市長が聞いて、広島の声として、田母神さんの講演会を阻止されたのかが、まず聞いてみたいと思います。
私どもには 何のお問い合わせもありませんでした。
被爆者や遺族の悲しみを増す恐れがある」というのが「広島市の立場」とのことですが、どのような根拠でこのような空論を展開されているのでしょうか。
ある特定の思想にとりつかれている被爆者の方々の声だけを代弁しておられるとしか考えられません。
また広島県原爆被害者団体協議会など7団体に はたして被爆者 および 遺族の何%が加入し、そのうちの何%にこのたびのことに対する意見を求めて発表しているのか、それも疑問です。
自分の地位と権力を利用して、ある特定の団体や個人を攻撃したり、また逆に応援したりすることが、市長の立場でしていいはずはありません。
主人はそのことを知り すぐにも市役所に苦情を言いました。

もう一度同僚の言葉を思い返す。
慰霊式会場で黙祷を捧げている間も、デモ隊は場外で叫び続けていた。」
この時点で、「ヒロシマの平和を疑う!」の意味がようやく判った気がした。

予告編【8.6田母神講演会】 [核と平和と田母神氏]

8.6田母神講演会 ヒロシマの平和を疑う!
田母神俊雄氏が語る!広島発、真の平和メッセージ
http://park6.wakwak.com/~nipponkaigi-hiro/210806gyouji.html

切符が取れたので…明日行ってくる。
関西から昼のバスで行って夜行バスで帰る。

そして講演の内容と…マスコミの論調を比較したい。
マスコミはどこまでこの講演を正しく伝えるか?
がテーマ。

翌日(7日の金曜日)は仕事して宴会に出るので、アップは早くて8日の土曜日(その日も午後から出張予定)
乞う御期待。

どこまで保つかガザの停戦 [核と平和と田母神氏]

読売より
イスラエルが一方的に停戦宣言、ガザ駐留は続行
 【エルサレム=三井美奈】イスラエル政府は17日夜、パレスチナ自治区ガザ紛争で「一方的な停戦」に入ることを決め、同国軍は18日午前2時(日本時間同日午前9時)、ガザ攻撃を停止した。
 軍は当面、ガザ駐留を続ける。
 ガザを支配するイスラム原理主義組織ハマスは、「即時撤退」を主張して停戦受け入れを拒否、双方の散発的な交戦は続いており、先月27日から22日間続いた紛争が解決に向かうかは、なお不透明だ。
 閣議後、記者会見したオルメルト首相は「ハマスは政治力、軍事力の両面で大打撃を受けた」と軍事作戦の成果を強調。米、エジプトとの交渉でハマスの武器密輸を阻止する国際的な枠組み作りへのめどが立ち、「目標が達成された」ことが、停戦決定の理由だと説明した。軍のガザ駐留期間については明言を避けた。
 これに対し、ガザのハマス報道官は、「軍の即時撤退と経済封鎖の解除」が停戦条件だと改めて主張し、攻撃続行の方針であることを示した。ただ、ハマス内には停戦受け入れに前向きな意見もあると見られる。(後略)

なんとか…一応の停戦にこぎ着けたというところか…

それにしても、ハマスはあくまでもイスラエルとの和平を受け入れる気はないだろうから、このままでは、いつまでも本当の出口は見えない。

パレスチナの人達が、自らの意志でイスラエルとの共存を受け入れ、
イスラエルはパレスチナの自治を認めなければ、
本当の和平は来ないのだろう。

つかの間の停戦の間に、国際社会が様々なルートで働きかけなければならない。
次の注目点は、オバマ新大統領の動きか。
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