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安保理決議1860は出たがイスラエルとパレスチナは… [核と平和と田母神氏]

ようやく安保理決議1860が出た。
http://www.un.org/Docs/sc/unsc_resolutions09.htm
↑のS/RES/1860 (2009) が実物。
読売より
安保理がガザ停戦決議、イスラエルに撤退言及…米は棄権
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20090109-OYT1T00356.htm 
【ニューヨーク=白川義和】国連安全保障理事会は8日、パレスチナ自治区ガザ紛争で「即時かつ永続的な停戦」を求め、イスラエル軍のガザ全面撤退にも言及した決議案を賛成14、棄権1(米国)で採択した。
 イスラエルによる先月27日のガザ空爆開始から間もなく2週間となるのを前に、停戦に向けた動きがようやく本格化し始めた。
 ガザを実効支配するイスラム原理主義組織ハマスが停戦に応じるかどうかや、イスラエル軍のガザ撤退時期は不透明。停戦監視の枠組み作りやハマスへの武器流入阻止も、永続的な停戦の課題として残っている。エジプトの調停によるイスラエル、パレスチナ自治政府、ハマスの当事者協議などでこうした措置の具体化で合意できるかどうかが今後の焦点となる。(後略)

他方、両当事者はそれに応じる気配はないという。
日本人一般に理解困難なことは、ある民族が他国家の抹殺を公然と主張するということである。

その背景を考えてみる。
ユダヤ教にせよイスラム教にせよ、砂漠に囲まれた厳しい環境のもとで成立した宗教は、限られた資源で共存するための規範を与えるものでなければならなかったのだろう。
そのため、「神と人」の関係や「人と人」の関係が、より厳しく律せられているのであろう。

本来、パレスチナ問題のような現世における利害の問題は、「人と人」の関係で解決すべき問題である。
つまり、(人a)対(人b)の関係である。

ところが、両当事者、殊に原理主義者が、「神と人」の関係を問題の前提として持ち込んでしまった。
そして(神a・人a)対(人b・神b)の関係となってしまった。
それぞれが…自らの神との関係を優先して問題解決を求めるから…いつまでも人と人の解決ができない。

だとすると、安保理決議1860が下のように求めても
8. Calls for renewed and urgent efforts by the parties and the international community to achieve a comprehensive peace based on the vision of a region where two democratic States, Israel and Palestine, live side by side in peace with secure and recognized borders, as envisaged in Security Council resolution 1850 (2008), and recalls also the importance of the Arab Peace Initiative;

「イスラエルとパレスチナの2つの民主主義国家が隣り合って平和に暮らす」というのも望みが薄いように見受けられる…

やはり…イスラエルもパレスチナも、領土問題の解決と原理主義を如何に分離するかということが解決の鍵となるのではないだろうか。

世界の現実…パレスチナ [核と平和と田母神氏]

読売より
スラエル軍の空爆続く、死者345人に…ガザ侵攻懸念も
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20081229-OYT1T00420.htm
 【カイロ=宮明敬】イスラエル軍は29日、パレスチナ自治区ガザを実効支配するイスラム原理主義組織ハマスの拠点施設などへの空爆を続け、AFP通信によると、空爆が始まった27日からの死者数は少なくとも345人、負傷者数は1550人に達した。
 ガザとの境界沿いには、イスラエル軍の戦車が集結、地上部隊がガザに侵攻する懸念が高まっている。ガザの武装勢力もロケット弾による報復攻撃を続け、イスラエル人1人が死亡した。 (後略)

日本は平和だとつくづく思う。
しかし…ムンバイのテロに見られるように、パレスチナ問題はあの土地での小競り合いに留まらない世界に対する脅威だ。
即時停戦にもっていくだけのリーダーシップを各国が示さなければ、またテロリスト達に大義名分を与えてしまう。
米政権の交代時期にこういう事が起こると実に厄介だ…

村山談話はこういう事らしい。 [核と平和と田母神氏]

【土・日曜日に書く】論説委員・石川水穂

http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/081115/stt0811150334001-n1.htm
 ■村山談話の検証が不可欠だ
 ≪論文内容は問題でない≫
 「我が国が侵略国家だったというのは濡(ぬ)れ衣(ぎぬ)」とする論文を公表した自衛隊の田母神俊雄航空幕僚長が、先の大戦を「侵略」と断じた村山富市首相談話に反するとして更迭された。
 田母神論文を読むと、関東軍将校による計画的な事件とされる張作霖爆殺(昭和3年)をコミンテルンの仕業とする異説や、盧溝橋事件(昭和12年)で劉少奇が西側記者に会見を行ったという未確認の話に引きずられている面もあるが、論旨は通っている。
 今回、そのような資料評価の問題は、それほど重要ではない。問題は、幕僚長更迭の根拠とされた「村山談話」の当否である。
 村山談話が出された平成7(1995)年は、戦後50年の節目の年にあたっていた。自民党と社会党、さきがけの3党による自社さ政権が連立内閣を組織し、最大野党は新進党だった。
 先の大戦をめぐって、社会党出身の村山首相はひたすら「謝罪」と「反省」を繰り返し、その村山首相の意に沿わない閣僚や閣僚経験者の多様な歴史観が次々と近隣諸国から非難された。
 6月、渡辺美智雄・元副総理兼外相が「日韓併合条約は円満に結ばれた」と発言したことに韓国が反発し、渡辺氏は謝罪した。
 8月、島村宜伸文相は「侵略か侵略でないかは考え方の問題」などと発言し、中国・韓国が反発した。文相は厳重注意を受けた。
 一方、国会では、「数々の植民地支配や侵略的行為」に「深い反省の念」を表明した戦後50年決議案が、衆院で野党新進党が欠席する中、与党3党の賛成多数で可決されたものの、参院での採択は見送られた。
 ≪唐突に閣議に出された≫
 「遠くない過去の一時期、国策を誤り」と決めつけ、「植民地支配と侵略」に対する「痛切な反省の意」と「心からのお詫(わ)びの気持ち」を表明した村山談話は、そうした異様な政治状況の中で、唐突に閣議に出されたものだった。
 8月15日の閣議に先立ち、野坂浩賢官房長官は有力閣僚や与党幹部に内容を詳しく説明せず、「総理の気持ちなので、どうか何も言わずに了解してほしい」と頭を下げて根回ししたといわれる。
 閣議では、古川貞二郎官房副長官が村山談話を読み上げた。閣僚は誰一人発言せず、出席者によると、「水を打ったような静けさだった」という。
 閣議後の会見で、村山首相は国策を誤った時期について「断定的に言うのは適当ではない」と明言を避けた。日本がいつの時代までさかのぼって謝罪しなければならないのか、今も明確ではない。
 当時、運輸相として初入閣した平沼赳夫氏は後に、産経新聞の取材にこう語っている。
 「事前の相談は全くなく、唐突に出た。社会党出身とはいえ、何でこんなの出すのかなと思った。ちょっと問題のある文章だなと思ったが、あえて発言しなかった。今思えば率直に思ったことを言っておけばよかった」
 この年は、村山談話発表後も、閣僚の発言が中韓両国から非難される状況が続いた。
 10月、村山首相が参院本会議で「日韓併合条約は法的に有効に締結された」と答弁したことにも韓国が反発し、首相は「相互の立場が平等ではなかった」「舌足らずだった」などと釈明した。
 11月には、江藤隆美総務庁長官が内閣記者会のオフレコ懇談で「植民地時代に日本は韓国にいいこともした」と話した内容が月刊誌に漏れた。村山首相は江藤長官に厳重注意したが、韓国は納得せず、江藤長官は辞任した。
 その江藤氏も生前、村山談話について「閣議で突然、首相談話が出てきて仰天した。(反対と)言っても始まらないと思って黙っとった」と話していた。

 ≪作成過程の解明も必要≫
 村山談話は、日本の閣僚や政治家の言論が事実上、中国や韓国の“検閲”下にある中で、両国の納得が得られる形で出された外交文書のようなものでもあった。
 この11日、参院外交防衛委員会に参考人招致された田母神氏は「村山談話を公然と批判したことはないが、自衛官にも当然、言論の自由は認められているはずで、それが村山談話に制約されることはないと思っていた。私のどこが悪かったか(懲戒手続きで)審理してもらった方が問題の所在がはっきりする」と答えた。
 村山談話は当時、内閣副参事官だった松井孝治氏(現民主党参院議員)が起草し、内閣外政審議室長だった谷野作太郎氏(後の駐中国大使)が親しい学者と相談して仕上げたものだといわれる。
 今後、国会がすべきことは、村山談話の作成から閣議決定に至る過程をきちんと検証することである。(いしかわ みずほ)

村山談話は確かに閣議決定されたようだ。
そのありさまは上記のようなものであるとの記述が出てきた。

これが正しいとしたならば…いわゆる村山談話は…
①閣議の前日に行われる事務次官会議に諮られていない。
 つまり…事務方の審議を経ていない。
②閣議の当日にいきなり提出された。
 つまり…誰もしっかりした審議と推敲のいとまを与えられていない。
③閣議の直前に「どうか何も言わずに了解してほしい」との根回しがあった。
 つまり…理非もクソもあったものではない。

総じて言えば…僕が先に指摘したように
ある時期の総理大臣が語った独白を閣議にかけて…誰も異を唱える機会を与えられなかったために通ってしまった。

これを閣議決定だというのは…国民を欺くようなものではないか?

田母神氏参考人招致を読む その3 [核と平和と田母神氏]

さらに不思議なことがある。
 犬塚氏「このときの10月31日の経緯を見ると、副長が田母神氏に2つのことを聴いている。1つは、ごめんなさいと言って辞表を出してくれと。2つめは懲戒手続きに入った場合は審理を辞退してくれないかと。早急に、迅速にそれを終わらせたいと。その2点を聴いたと。これでよろしいか」
 犬塚氏「それに対する参考人の答えは、辞表は出さない、辞めない。そして懲戒処分の入るなら審理の辞退はしないと。自衛隊法施行規則に決められた手続きが数カ月かかることもある。規則違反の該当性について徹底的に議論する、といわれた。これでよろしいか」
 田母神氏「はい、よろしいです」
 犬塚氏「どうして懲戒手続きの対象にしなかったのか」
 浜田氏「今、田母神参考人が言われたように、徹底的にこれを審理するということでございますので、空将に私は降格をさせたわけでありますんで、当然、これは退職の日が、1月の末までとなるので、あくまでの現職の自衛官ということが条件となりますので、定年ということが確定をしてしまいますんで、徹底抗戦ということであるならば、これは時間がかかるということでありますんで、われわれとすればそれを勘案して早期退職、退職として取り扱ったということでございます」
 田母神氏「はい、そのとおりです」

これを順番に見ると
①辞表を出せ→否
②懲戒するぞ→徹底抗戦
③定年にした
ということだ。

定年で辞めさせた。
これは一体何を意味するのだろうか?

冷静に考えよう。
つまり…定年で辞めさせるということは…①の「辞表を出せ」と同じ効果を生じさせることではないか?
辞表を出したって退職金は払わねばなるまい。
だとすると…②の「懲戒にするぞ」は①の「辞表」を取るための方便に過ぎないということがわかる。
どうしても懲戒しなければならないならば…懲戒が①に来るはずだ。
それが通じないから③の定年にした…ということではないか?
だったら…最初に狙った①「辞表」と同じ事になったのだから、これに対してごちゃごちゃ言う必要はないのだ。

懲戒をするにはそれだけの理由があることを懲戒権者が「法的」に担保する必要がある。
野党はどうこう言える。言っても国会内ならば無答責だからだ。
しかし懲戒権者・政府はそうはいかない。
政治的理由で懲戒処分をして、相手がそれを不服とした場合、時には10年にもわたる行政訴訟を戦わねばならない。
その上で当該処分が取り消されたならばどうなる?
また同じ野党が当時の懲戒処分の是非をめぐって政府を追及する?
ばかばかしい…

田母神氏参考人招致を読む その2 [核と平和と田母神氏]

昨日紹介した産経の記事から、目についたところをピックアップする。
 浅尾氏「田母神参考人に、過去は問題になっていないが今回問題になったことについて、また更迭されたことについて、なぜそうなったのか、ご自身の感想をうかがいたい」
田母神氏「私はあの、言われております、村山談話と異なる見解を表明したということで更迭をされたということでありますけれども、これについてはまあ、シビリアンコントロール(文民統制)の観点から、私は、見解の相違はないと思っておりますが、大臣が『見解の相違がある』と判断をされて、不適正であると判断をされて、解任をするというのはまあ、政治的に当然だろうというふうに思います。私は、私の書いたものがいささかも間違っているとは思っていませんし、日本が正しい方向に行くためには必要なことだというふうに思っております」
 浅尾氏「私の質問は、1年前はまったく問題にならなかったのに今回は問題になったことについて、どう理解しているかだ」
 田母神氏「まあ、今回はやはり、多くの人の目について、マスコミなどで騒がれたからではないかと思っております」

 犬塚直史氏「今日は田母神参考人に立法府にお越しをいただいた。全国の有権者らが見ているだろう。何よりも、24万の自衛官のみなさんも非常に注目している審議だと思う。今、『自分の書いたことは間違っているとは思わない』という発言がありました。私は、家族、国を思って世界の平和を願うという気持ちは、立法府も行政府も1つの変わりはないと思う」「しかし、今おっしゃったような侵略の定義は、一国の憲法を超えた問題。立法府の議題だということをご認識いただきたい。外から見て、国会がしている議論に歯がゆい気持ちをお持ちになるかもしれない。ただし、立法府で決まったことについては行政府が粛々と実行していく、という国家運営の基本をないがしろにするような言動について、私は田母神氏の個人的思想信条についてうんぬんするつもりはないが、しかし、この件への政府の受け止め方は軽すぎる。首相のぶらさがりの答弁も、非常に軽いことをおっしゃっておられる。防衛相は、今回の田母神氏の言動は3権分立という原則に対する重大な挑戦だとは思われないか」
 浜田氏「私も、委員ご指摘の通り、大変憤慨をしているところでございます。ですから、その方法論はいろいろな、辞めていただくための方法論はあったかもしれませんが、私とすれば、今、委員がご指摘になったように、われわれ国会の重要性、そしてまた世界のおける今の情勢、等々を考えれば、こういった発言というのはあるべきものでないと思っておりますし、極めて不適切で、極めて重大な発言だと。私としてはその責任の重さというのは感じていただかねばならない。私はそう思っております。ですから、航空幕僚長としての職を解いた。そしてそののちに、われわれとすれば、今一番早い形でお辞めになっていただくのが重要と思ったので、その点で退職をしていただいた、ということであります。それは、われわれとすれば迅速な対応が必要だと思ったので、この方法を選ばせていただきました」

 犬塚氏「このときの10月31日の経緯を見ると、副長が田母神氏に2つのことを聴いている。1つは、ごめんなさいと言って辞表を出してくれと。2つめは懲戒手続きに入った場合は審理を辞退してくれないかと。早急に、迅速にそれを終わらせたいと。その2点を聴いたと。これでよろしいか」
 田母神氏「はい、そのとおりです」
 犬塚氏「それに対する参考人の答えは、辞表は出さない、辞めない。そして懲戒処分の入るなら審理の辞退はしないと。自衛隊法施行規則に決められた手続きが数カ月かかることもある。規則違反の該当性について徹底的に議論する、といわれた。これでよろしいか」  田母神氏「はい、よろしいです」
 犬塚氏「どうして懲戒手続きの対象にしなかったのか」
 浜田氏「今、田母神参考人が言われたように、徹底的にこれを審理するということでございますので、空将に私は降格をさせたわけでありますんで、当然、これは退職の日が、1月の末までとなるので、あくまでの現職の自衛官ということが条件となりますので、定年ということが確定をしてしまいますんで、徹底抗戦ということであるならば、これは時間がかかるということでありますんで、われわれとすればそれを勘案して早期退職、退職として取り扱ったということでございます」
 犬塚氏時間がかかるからまずい、だから退職扱いにしたということか
 浜田氏「そうではなく、われわれとすれば時間がかるということではなくて、実質上審理をしている間に、同じように退職ということがせまってくるわけでありますので、私の立場からすれば私の立場で判断して退職をしていただいたということであります」
 犬塚氏「その判断は非常に軽い判断だと思う。重大問題。国権の最高機関である立法府に対する挑戦行為で、ほっとけば、国の形が崩れるほどのもの。なぜ、懲戒処分にしないのか」

ここで第一の疑問がわく。
「村山談話」って何だ?
国会決議か? →否
閣議決定か? →否


内閣法第4条 内閣がその職権を行うのは、閣議によるものとする。

閣議決定でないということは即ち…内閣の職権遂行ではないということである。
ということは…村山談話って…ある時期の総理大臣が語った独白に過ぎないわけだ。
たまたまそれに内閣も国会も異を唱えていないというだけのことではないのか?
それに反する論文が、いつの間にか国権の最高機関である立法府に対する挑戦行為とまですり替えられている。
これは一体何だろう?
レトリックのマジックだとしても…余りにもお粗末な追求ではある。
言わば…為にする論議のお手本のようなものだ。
続く

田母神氏参考人招致を読む その1 [核と平和と田母神氏]

さて…どこから手をつけたらいいかわからない。
まずは取っ掛かりだ。

産経は詳報を載せてくれた。
http://sankei.jp.msn.com/etc/081111/etc0811111504001-n1.htm
まだ会議録が見れないのでありがたい。

とかくこのようなときは各紙が自分の主張に都合の良いところだけをつまみ食いして報じるものだ。
朝日なんかは一番ひどい。
田母神・前空幕長が指示否定「すれば1000人投稿」
http://www.asahi.com/politics/update/1111/TKY200811110133.html
「言論の自由」「ネットで支持も」田母神氏、強気に持論
http://www.asahi.com/politics/update/1111/TKY200811110181.html
この程度だ。
要は、自衛隊の最高幹部はこんなに危険なんだって言いたいわけだ。

ともあれ…田母神氏の発言の中でも特筆すべきはこれだ!
それで私も今回びっくりしてますのは、日本の国はいい国だったと言ったら、解任をされたと。そしてまた、責任の追及も、いい国だと言ったような人間をなぜ任命したんだといわれる。

この発言に対して政府は応えられるのだろうか?
一体全体我が国の政府はどうなってるの?
と思うのが第一印象。
つづく…

田母神氏の記者会見 [核と平和と田母神氏]

読売より
更迭の前空幕長、「空将」扱いで60歳定年退職に
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20081103-OYT1T00443.htm?from=main1
 田母神(たもがみ)俊雄・前航空幕僚長(60)(航空幕僚監部付)が、昭和戦争などに関して投稿した論文の内容を巡って更迭された問題で、防衛省は3日、田母神前空幕長を同日付で定年退職とした。
 同省では結論が長引けば週明けの国会審議に影響が出ると判断し、更迭後の処遇としては異例の対応に踏み切った。
 同省では、田母神前空幕長の定年を今月30日まで延長していたが、本人から辞表の提出がないため、懲戒処分なども検討。しかし、懲戒手続きが長引くおそれがあり、民主党も追及する姿勢を見せ始めたことから、早期収拾を図ったとみられる。
 自衛官の定年は役職や階級によって異なり、空幕長は62歳。しかし、田母神前空幕長はすでに更迭され、現在は60歳で定年となる「空将」のため、退職年齢に達していた。
 田母神前空幕長は3日夜、東京都内で記者会見を開き、論文の内容について「今でも間違っていないと思う。日本は決して侵略国家ではない。これを機に、歴史認識の議論が活発になることを願っている」と述べた。民主党が求める姿勢を見せている国会の参考人招致に対しては、「応じるつもりだ」と答えた。
(2008年11月3日19時34分 読売新聞)

NHKに至っては
http://www3.nhk.or.jp/news/t10015134911000.html#
さきの大戦をめぐって政府の見解と異なる内容の論文を発表し、更迭された前の航空幕僚長、田母神俊雄空将が3日付で「定年退職」することが決まりました。
(中略)
退職金も支払うということです。

NHKでは、退職金が支払われることがなんだか不当だとでも言わんばかりの口調だった。
その記者会見で写された田母神氏の台詞
政府見解と異なることを言っちゃいけないなら北朝鮮と一緒だ」だって。
座布団三枚!
是非参考人として国会の場に赴き、活発な論議をしていただきたい。
そして自由な論議を通じて国民世論を動かしていただきたい。

産経より
【政論探求】田母神氏の重い問いかけ
2008.11.3 18:31
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/081103/plc0811031834005-n1.htm
 「日本は侵略国家であったのか」という問いかけはきわめて重い。近現代史の一面的な見方を見直そうという動きが各方面から起きていたが、その象徴的論文といえた。
 だが、田母神俊雄氏は空幕長を更迭された。これまでの政府見解に沿わない内容であることは確かで、麻生首相としても「立場上、不適切」と言わざるを得なかった。
 「村山談話」「河野談話」がいかに手かせ足かせになっているか、改めて思い知らされる事態だった。
(中略)
 田母神氏は「第2の栗栖」として歴史に残ることになった。統幕議長だった栗栖弘臣氏は昭和53年、自衛隊法の欠陥をついた「超法規発言」で更迭された。25年後の平成15年、武力攻撃事態対処法が成立した。栗栖氏はこれを見届け、その翌年に84歳で死去している。
 田母神氏には、堂々粛々と更迭処分を受け、自由な立場で所論を貫いてほしいと願う以外にない。
(客員編集委員 花岡信昭)

そのような意味で、彼の「人柱」を無駄にしてはならないと思う。

終戦の日翌日の社説 二紙が靖国に触れる…それにしてもA級戦犯とはなに? [核と平和と田母神氏]

終戦の日から明けて今日16日に、産経と毎日が社説で靖国に触れた。

産経より
【主張】終戦の日と靖国 福田首相はなぜ参拝せぬ
http://sankei.jp.msn.com/life/education/080816/edc0808160333001-n1.htm
 終戦の日の8月15日、東京・九段の靖国神社には、今年も多くの国民が参拝に訪れた。だが、福田康夫首相の姿はなかった。予想されたこととはいえ、残念である。
 福田首相は昨年9月の自民党総裁選時から、靖国参拝問題で「友達(中国、韓国など)が嫌がることはしない」と述べ、今年8月15日に向けても「私の過去の行動を見てほしい」と参拝しない意向を示した。
 福田首相は中国製ギョーザ問題でも、中国で中毒事件が起きたことを洞爺湖サミット中に知らされながら、中国への配慮から、それを1カ月も隠していた。
 隣国への配慮も結構だが、肝心の国民のことをどう考えているのか。国を代表するリーダーなら、まず、国民のことを考えて行動してもらわなければ困る。
 靖国神社には、幕末以降の国に殉じた246万余柱の霊がまつられ、うち213万余柱は先の大戦の死者だ。それだけ終戦の日の参拝の意義は大きい。とりわけ、首相以下の閣僚による靖国参拝は、国を守るという観点からも、重要な意義を持っている。(後略)

毎日より
社説:追悼のあり方 静かに議論を続けたい
http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/
 63回目の終戦記念日を迎えた15日、福田康夫首相は当初から表明していた通り、靖国神社を参拝しなかった。かねて毎日新聞は首相の靖国参拝に反対してきた。当然の対応であると評価したい。
(中略)
 靖国神社にはA級戦犯が合祀(ごうし)されている。問題の本質は、やはりここにあろう。
 中国人監督によるドキュメンタリー映画「靖国」が今春、「反日的だ」との批判を受け、上映を取りやめる映画館が相次ぎ、さまざまな論議を呼んだのは記憶に新しい。一方で、昭和天皇がA級戦犯合祀に強い不快感を抱いていたことも近年、明らかになった。
 一部の若い政治家の中には、先の大戦を正当化、美化するかのような風潮が出てきているのも事実だ。しかし、あの無謀な戦争に突き進んだ戦争指導者たちがまつられていることに違和感をおぼえる国民は決して少なくないはずだ。


いずれにしても先の大戦で殉じた御霊をどうやって祭るかの話である。
僕の意見は昨日書いた。

それとは別に疑問がある。
A級戦犯って何だ?」である。

当時はいわゆる東京裁判で、「平和に対する罪」「人道に対する罪」なる事後法で裁いた事になっている。
このうち、「人道に対する罪」は、国際刑事裁判所規定にも具体的に盛り込まれ法典化されている。
イラクのフセイン元大統領もこれで裁かれたし、旧ユーゴスラビアのカラジッチ氏もこれで裁かれるのだろう。

しかし、「平和に対する罪」はどうだ?
国際刑事裁判所規定には「侵略犯罪」は規定されているものの、具体的に如何なる行為があたるのかは未定義である。
http://www.mofa.go.jp/Mofaj/gaiko/icc/pdfs/icc.pdf

そもそも振り返ってみよう。
先の大戦が終わったあとに、何度の戦争が起きたことだろう?
そして、誰か「平和に対する罪」なる処罰を受けた者があるだろうか?
朝鮮戦争を起こした者は?
ベトナム戦争を起こした者は?
湾岸戦争を起こした者は?
誰一人そのような訴追すら受けていない。
つまり、戦後六十有余年を経ても「平和に対する罪」は普遍的な犯罪として確立できていないのだ。

では、なぜ?そのような罪でA級戦犯は裁かれたのか?
東京裁判には正義はなかった」が答えであろう。

現に世界が六十年かけてそれを証明しているのだ。
そのようなA級戦犯という言葉の呪縛から解かれるべきではないのだろうか?

そう言えば中国などが反発するという反論があるだろう。
それもこれも外交の手段である。
反発すれば利益になる。だから反発するのだ。
つまり外交上の駆け引きで解決してもらいたいものだ。

終戦の日をめぐる五紙の社説 [核と平和と田母神氏]

ここのところグルジアに注目してきたけれど…我が国のことにも目を向けてみる。
そこで…終戦記念日を迎えて五紙の社説を読み比べてみる。

やはり靖国が念頭にあるのが読売
8月15日 静かな追悼の日としたい(8月15日付・読売社説)
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20080814-OYT1T00996.htm
 平成20年8月15日。今年もまた、全国戦没者追悼式の日を迎えた。時代は巡り、昭和20年の「あの日」は遠い歴史の記憶となりつつある。
 だが、歳月は流れても、国のために犠牲となった人々を追悼し、平和を誓うこの日の意義は、いささかも変わらない。
 東京・九段の日本武道館で行われる全国戦没者追悼式は、天皇、皇后両陛下をはじめ、首相、衆参両院議長、最高裁長官という三権の長がそろって出席する国家としての最高の行事である。
 この日は「A級戦犯」が合祀(ごうし)されている靖国神社をめぐり、熱い議論が交わされる日でもある。
 先ごろ話題になった中国人監督によるドキュメンタリー映画「靖国」は、かつて靖国神社の境内で作られた「靖国刀」と呼ばれる軍刀に焦点をあてている。靖国神社の存在を、軍国主義と重ね合わせて描いているようだ。
 しかし、普通の日本人ならば、軍国主義が復活するなどということは、およそ想像もできないことだろう。

読売は国立追悼施設に積極的のようだけれど、僕は否定的だ。
何故ならば、お亡くなりになった方々の気持ちの多くは靖国にあったであろうことを重く見る。
つまり追悼する側の気持ちよりもされる側の気持ち(故人の遺志)を重視すれば靖国をこれからも追悼の場とすべきであると思う。

日経は「平和の尊さ」といいつつ…戦争に伴って生起する現象の悲惨さを強調する。
社説1 平和の尊さをだれが語り継ぐのか(8/15)
http://www.nikkei.co.jp/news/shasetsu/index20080814AS1K1400114082008.html
 63回目の敗戦の日を迎えた。戦争の悲惨さを改めて思い起こし、国内外の犠牲者を悼み、不戦の誓いを新たにする日である。
 福田首相は靖国神社に参拝しない意向を表明している。小泉内閣時代に内外を騒然とさせた「靖国問題」は沈静化し、静かな終戦記念日となりそうだ。
 先の大戦で日本人は軍人・軍属、民間人合わせて310万人が死亡した。全国戦没者追悼式に参列予定の4700人の遺族席にはすでに父母の姿はなく妻の参列も激減し、子の参列が全体の67%を占める。彼らも決して若くはない。いずれ孫やひ孫が中心になっていく。さすがに戦争は遠くなったというべきか。
 63年が経過し、もはや戦争があったことも知らない世代が増えている。「過去に目を閉ざす者は未来に対してもやはり盲目となる」とドイツのワイツゼッカー元大統領が語っている。過去をきちんと学び、現在の平和の尊さを知るべきだろう。
 靖国神社に近い九段の「昭和館」は戦中戦後の国民生活の労苦を伝える資料の保存・展示を行う。「戦中戦後をともにした動物たち」という特別企画は夏休みの親子でにぎわっている。かわいがっていた馬が赤紙で徴発されていく。戦況悪化で動物園の象や虎が毒殺される。子供だけでなく若い親が関心を寄せていた。
 東京・新宿の住友ビルにある「平和祈念展示資料館」では、戦後のシベリア強制抑留や海外からの引き揚げコーナーがあり、証言者から貴重な話を聞くことができる。こうした関連施設は北は樺太関係資料館から南は沖縄県平和祈念資料館まで14カ所ある。高齢化と戦争体験の風化により次の世代へどう語り継ぐのか、器に盛る中身の充実が重要だ。

戦争から生じる悲惨な現象をいくら強調しても、先の大戦から六十有余年を経てこの世から戦火が絶えない理由が説明できない。
つまり、人には「どんなに悲惨な現象を被っても、それでも戦って守るべき価値がある」ということなのだろう。
その「価値」と「平和の尊さ」とは次元が異なるのだと思う。
もしも「平和」=「どんなに悲惨な現象を被っても守るべき価値」だとしたら…
侵略を受けたら…侵略者の奴隷になっても平和でいたいという結論になる。

朝日は日中関係に特化している。
終戦から63回目の夏―「嫌日」と「嫌中」を越えて
http://www.asahi.com/paper/editorial.html
 北京五輪第3日の10日、柔道会場に日の丸が揚がり、君が代が流れた。日本人金メダル第1号、内柴正人選手の表彰式だ。
 中国人の観衆はどう反応するだろうか。一抹の不安を覚えながら、テレビの中継画面に見入った人もいたに違いない。観衆の多くは起立し、メダリストたちの健闘に拍手を送った。
 だが、わずか4年前にはこんなこともあった。中国で開催されたサッカーのアジア杯。日本代表の試合では観衆の大半が相手チームの応援に回り、ブーイングが浴びせられた。中国との対戦となった決勝では、試合後、日本選手団のバスは群衆に囲まれた。
(中略)
■若い世代の取り組み
 日本社会の嫌中感情にも、似た側面があるのかもしれない。中国の現実よりも、思いこみや毒入りギョーザのような「事件」に影響されやすいのは事実だろう。大国化する中国への反感と閉塞(へい・そく)感から抜け出せない日本自身へのいら立ち。嫌中と嫌日は今の日中関係を映して、合わせ鏡のように共鳴しあっているのかもしれない。
 互いの「嫌」感情を、どう乗り越えるか。今秋の「京論壇」第3回会合の準備に走り回る北京大学の張一さん(19)は「自分たちが学校で受けた教育や家庭での影響などをお互いがさらけ出し合ってはどうか。無理をして歩み寄るよりも、なぜ歩み寄れないのかを知ることが大事だと思う」と語る。
 認識がどこでずれていくのかを探り、柔軟な心で双方の「違い」に向き合っていく。回り道のようだが、それが結局、信頼と友情を手にするための王道なのだろう。時代とともに、そうした違いの中身も急速に変化していくとなれば、なおさらだ。
 中国と日本との間ではこれからもさまざまな摩擦があろう。だが、嫌日と嫌中がぶつかり合うのは不毛である。
 終戦から63回目の夏。五輪が象徴する中国の台頭は、日中関係にも新たな発想を迫っている。若い世代の取り組みにそのひとつの芽を見る。

ここで朝日は「好き/嫌い」と「信/不信」をすり替えているように見える。
毒入り餃子が象徴する事件は…好きとか嫌いの問題ではない。
信用できるかできないかの問題である。
中国政府は…調査結果をねじ曲げて自らの国内での毒物混入を否定した。
その果てに…回収した毒入り餃子を再度流通させたことから、自らの虚偽が発覚した。
つまり、「信用できない」のであって、相互関係に最低限の「信用」があって、初めて次に「好き/嫌い」の問題に進めるのである。
それを跳び越えた論議は不毛に感じる。

産経は平和を保つ上での日米関係の重要性を訴える。
【主張】8月15日 日米の絆を確かめたい
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080815/plc0808150313002-n1.htm
 ■将来を誤らせぬ鎮魂の日に
 63回目の終戦の日を迎えた。日本列島はあの日と同じ蝉(せみ)しぐれの中で「鎮魂」の色に染まる。
 だが一方で今、日本人の関心の多くは、隣国・中国で開催中の北京五輪に向けられている。日本選手の活躍にだけではない。中国の国力を誇示することを最大の目的にしたような五輪のあり方そのものに対してでもある。
 その開会式には日本や米国、ロシアをはじめ80を超える国の首脳が出席した。五輪史上異例の多さである。その中には、チベットの人権問題を理由に欠席を表明していたフランスのサルコジ大統領の姿もあった。
(中略)
 今、日米同盟に代わり、価値観の異なる中国や、領土問題などで日本に敵対姿勢を強める韓国などと、多国間の枠組みを選ぶとなれば、日本はまた、孤立の道を歩むことになるだろう。
 むろん外交は、相手国があってのものだ。米国の「変心」に備えて「自立性」を強めることも大切である。
 だが、その前にやるべきは、補給の継続などにより「同盟の成果」を示し、日米の絆(きずな)を確かめることだ。中国や北朝鮮などによる同盟への揺さぶりや、これを弱体化させる動きは封じていかなければならない。
 国の将来を誤らせないような設計図を描かなければならない。それこそ、300万人にも上った先の大戦の戦没者たちの霊を慰めることになるのである。

確かに、外交に八方美人は通用しない。
基軸となる2国間関係があって、その上で多国間の関係なのだろう。
EUのような多国関係は、実は多国関係ではない。彼らはかつてのローマ帝国の再来なのだと僕は見る。
そういう意味で日米関係は確かに我が国にとっての基軸であり続けるのだと思う。

毎日は独自の国際協力を訴える。
社説:終戦記念日 日本独自の国際協力を
http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/
 英「エコノミスト」誌の調査部門EIUが「平和度指数」を算出している。日本は昨年に続き5位という高い評価だ。ちなみに1位はアイスランド。北京五輪開催中の中国は67位、米国は97位である。
 順位の妥当性には議論がある。大事なのは、平和を日々確かなものにしていく努力であろう。そのために不可欠なのが歴史から学ぶ姿勢だ。終戦記念日はその好機である。
(中略)
「平和学」の第一人者、ノルウェーのヨハン・ガルトゥング教授は、日本人は7年間の占領期間を通じて米国と「特別な関係」を作り出し「日本は米国に選ばれ守られている民」と考えるに至ったという。
 手厳しい指摘ではないか。確かに日本の対米依存は骨がらみだ。困難でも自前の国際協力のあり方を構想する時期である。


国際協力の重要性は認める。
ただし、それは必ずしも「自前」であるべきかどうかはよく判らない。
対米追従では評価されないという理由も不分明である。

五紙を総じて
戦争と平和には諸相がある単純に切り分けられるものではないから…各紙の視点を否定するものではない。
さまざまな視点から考えることはよいことだと思う。
ただし、僕には僕の意見がある。
これからも色々と考えていきたい。

グルジアをめぐり米ロ間で様々なカードが浮き上がってきた [核と平和と田母神氏]

日経は「新冷戦」とまで呼んでいるけれど
http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20080815AT2M1403414082008.html
様々なカードが浮かび上がり、交渉のお膳立ては揃ってきていると、僕は思う。

日経より
ロシア大統領、南オセチアとアブハジア独立を支持
http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20080815AT2M1402X14082008.html
 【モスクワ=坂井光】ロシアのメドベージェフ大統領は14日、グルジアからの分離独立を主張する南オセチア自治州とアブハジア自治共和国の両指導者とクレムリンで会談し、両地域が独立を目指すことを支持する考えを示した。今後始まるグルジアとの和平交渉では両地域の安全保障などを協議することで合意している。大統領はいち早く両指導者と会い、主権回復を目指すグルジアを強くけん制した。
 大統領が会談したのは南オセチアのココイトイ氏とアブハジアのバガプシ氏。大統領は両地域の将来的な地位について「それぞれの住民の決定をロシアは支持する」と言明した。
 ただ、ロシアの本音は両地域の独立ではなく、今の状態を続けることでグルジアとの交渉の「カード」として利用することにある。ロシアは独立支持をちらつかせることでグルジアを揺さぶり、交渉を優位に進める考えとみられる。(07:00)

他方アメリカもカードは豊富だ。
産経より
米、軍派遣で存在誇示 WTO、G8加盟にも影響を示唆 グルジア情勢 (1/2ページ)
http://sankei.jp.msn.com/world/america/080814/amr0808141832012-n1.htm
 【ワシントン=山本秀也】最近のグルジア情勢への対応で出遅れた米国のブッシュ大統領は13日の声明で、「人道支援」を掲げた米軍の現地派遣と、ライス国務長官のグルジア訪問など、軍事と外交の両面で、ロシアのカフカス支配を阻止する決断を示した。さらに声明は、21世紀の“優等生”をめざすロシアの努力が、グルジアへの軍事侵攻で水泡に帰す危険を警告するなど、世界貿易機関(WTO)加盟などをめぐり、米国がロシア支持の方針を撤回する可能性を強く示唆した。
 ライス長官、ゲーツ国防長官をともなって発表された大統領の声明は、「米国は民主的に選ばれたグルジア政府とともにある」として、サーカシビリ大統領の親米政権への支持を確認する一方、ロシアには停戦合意の即時履行を強く迫った。


G8の参加資格までカードにするあたりは…米国としても相当強気だ。
そこの交渉は「落としどころ」に向かってしっかり駆け引きをしたらいいと思う。

その間の停戦監視もOSCEがしっかり担って欲しい。
毎日より
グルジア紛争:停戦監視要員百人体制へ 全欧安保協力機構
http://mainichi.jp/select/world/news/20080815k0000m030160000c.html
 【ウィーン中尾卓司】全欧安保協力機構(OSCE、56カ国)は14日、ウィーンで、南オセチア自治州をめぐる特別会合を開き、グルジア情勢への対応を協議した。OSCEは、現地で停戦監視に当たる軍事要員を100人体制に拡大する方針を確認した。

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