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平成21年終戦の日をめぐる五紙の社説 [核と平和と田母神氏]

今年も8月15日がやってきた。
昨年も眺めた各紙の社説だが、今年はどうだろう…

読売は昨年から全くぶれていない。
終戦の日 追悼めぐる論議を深めよ(8月15日付・読売社説)
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20090814-OYT1T01063.htm
 「くにのためいのちささげし ひとびとの ことをおもへば むねせまりくる」
 東京・千代田区の千鳥ヶ淵戦没者墓苑の碑に刻まれた昭和天皇のお歌である。
 今年も「終戦の日」を迎えた。千鳥ヶ淵の墓苑にほど近い日本武道館では、政府主催の全国戦没者追悼式が行われる。
 天皇、皇后両陛下と共に、例年、三権の長である衆参両院議長、首相、最高裁長官が列席する。日本国として最も厳粛な儀式である。とは言え、今回は衆院が解散されているため衆院議長は不在だ。
(中略)
麻生首相は就任後初めて「終戦の日」を迎えるが、靖国神社には参拝しないという。「国家のために尊い命をささげた人たち」を政争の具などにするのは間違っていると、理由を語った。
 靖国神社には、東条元首相や松岡元外相ら、14人の「A級戦犯」が合祀(ごうし)されている。
 自民党内には、靖国神社に合祀された「A級戦犯」の分祀や国立追悼施設の建設の主張もあるが、党の方針は示されていない。
 民主党の鳩山代表は、仮に首相になっても参拝せず、閣僚にも自粛を求めるとともに、国立追悼施設の設置に向けて取り組みを進める方針を示している。
 岡田幹事長も、追悼施設について、千鳥ヶ淵戦没者墓苑を生かすことも含め有識者に議論してもらう考えを表明した。
 昭和天皇は、戦死者の魂を鎮めるという靖国神社の性格が「A級戦犯」の合祀で変わってしまうのではないかと懸念されていた。
 靖国神社は、いったん合祀した「A級戦犯」の分祀は、神道の教学上できないとしている。
 だが、神社側が分祀に応じない限り、選挙の結果がどうであれ、国立追悼施設建立に向けての議論は、勢いを増していくだろう。
 国のために尊い命を犠牲にした人々の追悼のあり方について、改めて国民的な議論を深め、結論を導き出す時期に来ているのではないだろうか。
(2009年8月15日01時23分 読売新聞)

今年も読売は国立追悼施設をテーマとしている。
対する僕の気持ちも変わらない。すなわち…お亡くなりになった方々の気持ちの多くは靖国にあったであろうことを重く見る。つまり追悼する側の気持ちよりも(8/15午後七時30分削除)される側の気持ち(故人の遺志)を重視すれば靖国をこれからも追悼の場とすべきであると思う。加えて、日本遺族会もそれを望んでいる。(8/15午後七時30分追加)
民主党も読売もA級戦犯が障害だと言う。
A級戦犯云々は、そもそもの原点に立ち返ればよいのだ。
政府の立場は平成17年の答弁でも再確認されている。
野田氏の質問に対し小泉総理が答弁している。
お尋ねの「名誉」及び「回復」の内容が必ずしも明らかではなく、一概にお答えすることは困難である。  お尋ねの重光葵氏は、平和条約発効以前である昭和二十五年三月七日、連合国最高司令官総司令部によって恩典として設けられた仮出所制度により、同年十一月二十一日に仮出所した。この仮出所制度については、日本において服役するすべての戦争犯罪人を対象として、拘置所におけるすべての規則を忠実に遵守しつつ一定の期間以上服役した戦争犯罪人に付与されていたものである。  また、お尋ねの賀屋興宜氏は、平和条約第十一条による刑の執行及び赦免等に関する法律により、昭和三十年九月十七日、仮出所し、昭和三十三年四月七日、刑の軽減の処分を受けた。この法律に基づく仮出所制度については、平和条約第十一条による極東国際軍事裁判所及びその他の連合国戦争犯罪法廷が科した刑の執行を受けている者を対象として、刑務所の規則を遵守しつつ一定の期間以上服役した者に実施していたものであり、また、この法律に基づく刑の軽減については、刑の執行からの解放を意味するものである。  お尋ねの死刑判決を受け絞首刑となった七名、終身禁錮刑及び有期禁錮刑とされ服役中に死亡した五名並びに判決前に病没した二名については、右のいずれの制度の手続もとられていない。  そして、重光葵氏及び賀屋興宣氏については、昭和二十七年四月二十八日、平和条約の発効及び公職に関する就職禁止、退職等に関する勅令等の廃止に関する法律(昭和二十七年法律第九十四号)の施行により、選挙権、被選挙権などの公民権が回復され、その後、衆議院議員に当選し、国務大臣に任命されたものである。また、重光葵氏については、昭和三十二年一月二十六日の死去に際し、外交の重要問題の解決に当たった等の功績に対して、勲一等旭日桐花大綬章が死亡叙勲として授与されたものである。

A級戦犯でも平和条約発効時に存命で刑期が満了していない者が復権して大臣にまで就任して、一人は外務大臣として国連加盟の立役者となっているいるにもかかわらず、刑の執行が終了(刑死)している者が復権しないという理屈がなりたつだろうか?
以上の理由で靖国問題は実に滑稽だ。
田母神氏が指摘するように中曽根総理以来の政府が「事なかれ」で対応してきたつけだ。

日経も昨年同様の論調だ。
社説1 悲劇を繰り返さぬ決意を新たにしよう(8/15)
http://www.nikkei.co.jp/news/shasetsu/index20090814AS1K1100113082009.html
 64年目の「終戦の日」を迎えた。勝算がないまま戦線を拡大し、国土が灰じんに帰すまで戦争をやめることができなかった。悲惨な経験を忘れず、平和への誓いを将来につなげていく日である。
 先の大戦では日本人だけでも軍人・軍属、民間人を合わせて310万人が犠牲となった。すでに国民の4人に3人は戦後生まれになり、戦争を体験した世代は年を追うごとに減っている。痛恨の歴史を語り継ぐ努力を続けなければ、戦争の記憶は確実に風化していく。
(中略)
 無謀な戦争で国中が焼け野が原になった。だが、そこから不屈の精神で経済復興を成し遂げた日本だからこそ、国際社会で果たすことができる役割があるはずだ。世界的な軍縮や地域紛争の抑止といった平和構築のための活動への取り組みはまだまだ不十分である。
 戦後の政治体制の転換点になりうる衆院選が事実上始まっている。日本を取り巻く国内外の情勢は変化し、外交や安全保障の戦略を根本から議論すべき時期に来ている。
 過去の失敗を直視し、悲劇を繰り返さないための教訓を国のかじ取りに生かしていく。多くの戦没者の霊に報いる道はこれしかない。

これに対しては僕も昨年と同じコメントを付さなければならない。
戦争から生じる悲惨な現象をいくら強調しても、先の大戦から六十有余年を経てこの世から戦火が絶えない理由が説明できない。 つまり、人には「どんなに悲惨な現象を被っても、それでも戦って守るべき価値がある」ということなのだろう。 その「価値」と「平和の尊さ」とは次元が異なるのだと思う。 もしも「平和」=「どんなに悲惨な現象を被っても守るべき価値」だとしたら… 侵略を受けたら…侵略者の奴隷になっても平和でいたいという結論になる。

昨年は日中関係に特化した朝日は今度はフィリピンに着目して戦争の記憶について語っている。
あの戦争の記憶―世代を超え、橋を架ける
http://www.asahi.com/paper/editorial20090815.html
 64回目の終戦記念日を迎えた。
 驚かされる数字がある。被爆地にある長崎総合科学大学の平和文化研究所が、同大の学生を対象に行った昨年の調査で、「終戦の日」がいつかを正しく答えられたのは33.2%。15年ほど前は5~6割台だった。
 戦後生まれは人口の4分の3を超えた。太平洋戦争の戦場から帰還し、健在な人は推計で40万人前後。最後となった1945年の徴兵検査を19歳で受けた人が、もう83歳だ。
 あの戦争の記憶をどう受け継いでゆくか。年々難しくなる課題に私たちは直面している。

 ■当事者に向き合う

 さいたま市の英会話学校で働く神(じん)直子さん(31)は、学生時代にスタディーツアーでフィリピンを訪ねた。現地の集会で、一人のおばあさんに「日本人なんか見たくない」と言われたことが胸に突き刺さった。日本兵に夫を殺されたという。

 その3年後に知人から偶然、戦地での行いを悔いながら亡くなった元日本兵がいる、と聞かされた。フィリピンで従軍した人の今の思いをビデオメッセージにして、現地の人に届けてはどうか。そう思いついた。
 旧日本軍の部隊名簿などを手がかりに数百通の手紙を出してみた。ぽつりぽつりと返事が来た。神さんはカメラを手に、全国を訪ね始める。
 「お国のために何でもやる。そんな教育に従って生きてしまった気がする」と、振り返った元兵長がいた。
 「強盗、強姦(ごうかん)、殺人、放火……。軍命とはいえ、罪の気持ちはある。でも謝るすべを知りません」。工兵隊にいた人は声を絞りだした。
 話の最後に「無我夢中でゲリラを突き刺した」と、打ち明けた人もいた。
 フィリピンは太平洋戦争の激戦地だ。日米両軍の死闘のなかで、日本の軍人・軍属60万人中50万人が死亡した。フィリピン人も100万人以上が犠牲となった。
 証言の映像を持参したフィリピンでは、元兵士が葛藤(かっとう)を持ち続けていることに驚いた人が多かった。みなではないけれど、許すと言う人もいた。
(中略)
 ■体験者なき戦後へ
 NHKが進めるプロジェクト「戦争証言アーカイブス」では、従軍経験を語る映像がウェブ上で閲覧できる。10月までの試行で約100人分。銃後の経験を含めた証言をもっと増やし、11年には本格サイトを完成させる。
 番組制作で集めたインタビューを未放送分も含めて収録し、戦場名や年表からの検索も可能にした。日本人の戦争体験全体を、体系的・総合的に整理するねらいだという。
 社会の中で薄れてゆく記憶を、つくりなおす。世代を超えて橋を架ける作業がいくつも進められている。
 ごく普通の人が、国の誤った道に巻き込まれ、極限の状況下で、加害者にも被害者にもなる。無名の元兵士たちが若者に語り残すのは、そうした戦争のリアリティーだ。その集積を、日本が二度と過ちを繰り返さないための共有財産にしてゆこう。
 戦場の現実を踏まえない議論を、政治の場で横行させてはならない。
 遠くない将来、あの戦争の体験者はいなくなる。それからも、私たちは「戦後」の時間を刻み続けていく。

戦争証言もおそらく玉石混淆となることだろう。
・強盗、強姦(ごうかん)、殺人、放火を軍命された→軍命ってなんだ?部隊長から正式に命ぜられたのか?それとも隣にいる「上官」がトチ狂って叫んだものか?検証もしないで垂れ流すのは害悪以外の何者でもあるまい。
・無我夢中でゲリラを突き刺した→ゲリラと判る相手と交戦することは法的には何ら問題ない。道徳的な問題は別として。
何でもかんでも日本を悪者にして罪悪感だけを増幅させておけば平和になるという考え方には全く賛同出来ない。

産経は昨年の「日米関係」から打って変わって「日本国内の政争」に目を向けた。
【主張】終戦記念日 国家の心棒、立て直す時 鎮魂の日に思う難局の打開2009.8.15 02:51
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/090815/acd0908150252001-n1.htm
 64回目の終戦の日を迎えた。物心がついた、当時10歳前後の少年少女は今や、70代半ばにさしかかっている。あの戦争を知る人の多くは鬼籍に入った。いや応なく忘却が進む。だが、総力戦に敗れ、国の行く末を国民が深く憂え、同時に日本再建へ心を一つに立ち向かったことに思いを馳(は)せたい。
 日本はいま、多くの難題を抱えている。少子高齢化の進行、不況下での負担と給付、北朝鮮の核や中国の台頭…。これらの問題に正面からどの程度、立ち向かってきただろう。複雑化し、解を見いだすのは容易でないがゆえに放置されてきた。その拱手(きょうしゅ)傍観が危機をさらに深めてはいないか。
 ≪同じ「日本丸」にいる≫
 しかも問題の根本解決には党派を超えた枠組み作りが不可欠なのに、目前の利害と対決感情に身を置いてしまう。混乱と混迷からなかなか抜け出せない。激論、競争は民主主義を活性化させるが、行き過ぎては国益を損ねる。
 気付くべきは、同じ日本丸に乗り、運命を共にしているということだ。国家と国民の一体感を取り戻すことが、この国を救う。
(中略)
 総選挙の公示は18日だ。政権交代が声高に叫ばれている。自民党をこらしめるため、一度民主党に政権を任せようといった鬱憤(うっぷん)晴らしでは問題は片付かない。
 21世紀を生き抜いていける国家像、いわば戦後体制をどうするかを自民、民主両党は政権の選択肢として提示しなくてはなるまい。変えるものと変えるべきでないものを整理して示す必要がある。
 戦禍の廃虚から立ち上がった先人たちは豊かな国を見事に築き上げた。だが、肝心の国のかたちは抜け落ちてしまった。
 心を一つに力を合わせ国家の心棒を立て直すことが現在と将来の危機を乗り切る原動力となる。
 日本をよりよい国にすることが、あの空襲で犠牲になった多くの国民、戦陣に斃(たお)れた幾多の英霊への鎮魂につながっていく。300万を超える戦没者を深く追悼し、死者の思いを考える8月15日でありたい。

確かにこのようなときこそ、国の行く先をしっかり見据えていく必要がある。
自民と民主のマニュフェストを見ても、どちらも「21世紀を生き抜いていける国家像」はくっきりとは見えてこない。 描きにくい情勢であることも間違いない。しかし、この激動する世界環境に適合していくのみならず、自ら望ましい世界環境を作り上げていく気概を持って欲しいものだ。

毎日は発想を大きく転換してきた。
社説:「打たれ強い日本」に 低エネルギー化急げ
http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20090815k0000m070114000c.html
 終戦記念日の主張として、日本を低エネルギー消費の国にしようというのは、やや奇異に映るかもしれない。しかし、日本の平和と安全にとってぜひ必要なことだ。
 気候変動の脅威とエネルギー需給の不確実性、さらには食料問題。こうしたグローバルな脅威を完全に遮断することはできないが、少なくとも低エネルギー社会化で「打たれ強い国」にすることはできる。それはまた、グローバルな危機に脅かされている途上国に対する、何よりの支援ともなるだろう。
 ◇グリーン化進む英軍
 実のところ、エネルギー消費が効率的で少ない「グリーンな軍隊」ほど「強い」のだ。英国防省が昨年12月公表した「気候変動戦略」は、その思想を強く打ち出している。気候変動の脅威に即応するには兵器の省エネが不可欠という主張だ。石油がぶ飲みの軍隊は継戦能力に欠ける。米軍は「ハイブリッド戦車」さえ研究している。
 先の大戦で日本軍は終始、資源・エネルギー不足に苦しんだ。苦肉の策として「人造石油」と「松根油」の製造に取り組んだが失敗した。満州(中国東北部)の撫順炭鉱の油頁(ゆけつ)岩(オイルシェール)から石油を抽出しようとしたり、日本中の松の根を掘り返し航空機用燃料を取り出そうと試みたのである。
(中略)
 早晩、私たちは環境と資源の制約によって、暮らし方を大きく変えねばならなくなる。それが何年後かは議論が分かれるが、英国防省が示唆するように、エネルギーの使用量が少なければ少ないほど、危機への抵抗力は強まる。
 東京財団が「化石燃料を使わない社会」をシミュレーションした。原子力、水力などは現状維持で、自然エネルギーを最大限利用したとして、1960年代の1次エネルギーの消費量になるという。ひどく貧しい時代だった気がする一方で、いま失われたある種の豊かさがあったような気もする。
 実のところ、世界のモデルになるような「豊かな低エネルギー社会」をどうすれば実現できるか、道筋は見えていない。低エネルギー化は常識では貧しい暮らしを意味する。それではだれも賛成しないだろう。エネルギー消費が少なくても、そこに何らかの豊かさが生まれていなければ意味がない。
 ひとつはっきりしているのは、これが「地方の自立」に深くかかわる問題だということだ。なぜなら、低エネルギー社会は食料のみならずエネルギーも地産地消でなければ成立しないからだ。地方が「浪費と無縁の豊かさ」を競い合う分散型社会に日本は変わっていくだろう。
 あと半月で衆院選の投票日だ。鎮魂の月、8月の衆院選は初めてである。すでに事実上の選挙戦が始まっており、各党が政策論争を戦わせている。間遠に思えるかもしれないが、日本の安全保障の基礎を準備する問題として、低エネルギー社会をめざす是非や方策を論じてほしい。

省エネルギーがオールマイティの解決策とは思わないが、実に重要な分野だと思う。 そもそも先の大戦では日本が列国により資源の禁輸を受けて無謀な戦争に駆り立てられた事実を書かないのは毎日の特性だとしても、日本が資源に乏しいことは厳然たる事実だ。 同じように僕は、次の世界大戦があるとしたら資源争奪戦から始まると思っている。 だから、省エネルギーはそれを未然に回避するための重要な施策だと思う。
実によい着眼だと思う。
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法典

私も毎日新聞の着眼点は面白いと思います。
日本にとってのアキレス腱は、やっぱりエネルギー。
食糧は(民主党ではないですが)無駄を省き、国民全てに上手く配分されるようにすれば自給率の底上げも可能でしょう。
ところが、エネルギー自給率は実質0%です。
この問題は早く解決すればするほど、将来的に国際社会で有利になるハズ。
エネルギー的に自立することが、すなわち国際社会で自立することにつながると考えています。
by 法典 (2009-08-15 11:23) 

yukikaze

毎日新聞の観点は必要ですね。資源の少ない我が国の将来を考えれば。日本が戦争をすることになるとすれば、太平洋戦争の時がそうであったように資源の枯渇する前に戦うということになるでしょう。資源を蓄えるとともに、資源供給国との円滑な外交関係を維持し、シーラインを守る力を持つこと、そして、貴重な資源を有効に使う方法を考え、省エネルギー社会の実現も必要だと思います。
by yukikaze (2009-08-15 21:00) 

井関 太郎

法典さん、yukikazeさん、ありがとうございました。
僕も更に関心を持っていきたいと思います。
by 井関 太郎 (2009-08-16 11:05) 

塩

改めて拝読させていただきましたが、大変読みごたえのある内容です。
by (2009-08-17 23:19) 

元気

こんにちは。

省エネで強力な力を持つ兵器。
それは核兵器ということになります。
核保有国ならではの発言。そう考えてしまいました。
日本に適用させるのは… 幻想です。

>地方が「浪費と無縁の豊かさ」を競い合う分散型社会に日本は変わっていくだろう。

地方分(主)権ですかね。
何を意図しているのか、考えてしまう自分がいます。
私には、どの新聞社も日本の国防など真剣には考えていない気がしました。
それは、日本国民が、真剣な国防を望んでいないからかも知れませんね。
by 元気 (2009-08-20 11:43) 

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